人におくる

昨晩は女四人で餃子パーティー(90個作った)だった。どうでもいい話や就活の話や進級論文の話やどうでもいい話をした。
3回生ともなると誰かに会うたび就職の話をしている気がする。正直気が滅入りそうになることもあるけれど、常に頭の片隅に置かねばならないね。
就活と論文、どっちも大事だけど両立は難しい。両方中途半端になってしまうのがいちばん悪い。どちらが大事かと訊かれれば、今後の生活がかかっている就活だと思う。奨学金返さなくちゃいけないしね……。親にも学費返さないといけないし。でも、どっちにより力を入れたいかというと、論文かな。だって就職はやり直せるけど論文は書き直せない。ずっと残るものなのにテキトーなもん出せないよ。私はこの論文で卒業したんだ!どうだ!って言えるやつが目標。やれるだろうか、やる。就活のために論文はやりやすいテーマ探してテキトーにやるのって何しに大学通ってきたのか分かんないよ、無駄になる。結局自分のためにもならない。
チャチャッと就活終わらせてスパッと論文にいくのがいちばんいいんだろう。そう簡単ではないだろうけど。二足草鞋は苦手だよ。


上の話とはぜんぜん関係ないけど、今日は人におくるためのものを沢山買った。友人たちへの誕生日プレゼント、家族や恩師に手紙を送るための封筒なんかを。最後にちゃんと親に手紙を書いたのはいつだったろう。たぶんおととしの春だ。京都へ引っ越してきたときに、車から降りる時に渡したんだった。こんな恥かしいこと二度としねえ!って思いながら車の助手席で父の隣でちょっと泣きそうになりながら書いたんだった。当然だけど「今までありがとう(キリッ」なんてスマートに渡せてない。恥ずかしすぎて母の目をまともに見れなかった気がする。
なんで書いたかというと恩師に、恥かしくても絶対書け、書かないと後悔すると言われたから。当時はゲエんなことできっかよおなどと思ったもんだけど、渡したあとは書いてよかったなあとしみじみ。内容ちゃんと覚えてないんだけど……。でもかっこつけた内容なんだろうなあ。読みたくないね。

実家は東京だから、そうそうホイホイ帰ることは出来ない。年に3回くらいかな。今年の春は帰ってゆっくりするつもりだったけど、地震があったので帰れなかったのがけっこう悲しかった。GWらへんはいわゆる五月病というのか、毎日家に帰りたくて進級論文から逃げたくてとかくいろんなものが辛くて毎日泣いてた。
なんか話が逸れてきた。あれだよ、何が言いたいかというと私は年に数回しか親に会えないということだ。母は今年で49、父は52だったかな。あと、何回会えるだろう。そう考えると胸に込み上げてくるものがある。会える回数が少ないなら別の方法でもっとコミュニケーションを取りたい。だからこれからは一カ月に一回ぐらいは手紙を送ろうかと思ったわけで。封筒をね、買ったんだよ。父には山吹色、母にはレモン色の。

最近ほんっとチャランポランだから自分を戒めるためにも、現状を伝えたり感謝の気持ちを伝えることにする。言葉でも写真でもなんでも。
人っていつ死ぬかわからないしそれは自分だってそうだ。時間は有限だ。いつもいる人が明日もいるっていうのは当たり前のことではないから、伝えたいことがあるときに伝えておいた方がいいに決まっている。