昨日はとてもがんばったという話

昨日は朝8時に起きてからすぐ、
ゴミ袋と段ボールをまとめ、外へ出すことができた。
そのあとすぐ洗濯機を回して、茶碗を洗い、炊飯器をセットしたところで、パスポート申請に必要な戸籍抄本を捨てた疑惑が浮かび上がり、瞬時に吹き出た冷や汗と胃痛を感じながら机及び周辺を探すも、無し。
自室を飛び出しゴミ捨て場から先ほどのゴミ袋を回収、開封、目当てのブツ無し!

半ば白目を剥きながら、もう一度落ち着いて机の上を調べたら、横になったペットボトルの下にありましたとさ。ADHD全開って感じ。

一息ついたところで米が炊き上がり、朝からすし太郎を食べた。その後はパスポート用の写真を撮り、郵便局に寄り、市役所に寄り、整形外科に寄り、スーパーで諸々購入して帰った。

出勤前にきちんと夕飯を食べて、炊飯器に残ったご飯をパックに詰めた。
ここ数週間のだらけ具合がウソのように活動的、生産的なわたし! えらい! 死ぬほど苦手な書類関係を着実に片付けている。
パスポートが6月頭に必要なのだ。
切羽詰まれば(切羽詰まらないと)動ける(動けない)。

なんにせよ、こんなに時間を有意義に使えたのは久しぶりだ。ストラテラがなくても動けるじゃないか。とはいえ、薬を常に服薬していれば、こういう日がもっと増えるのかもしれないけれど……。

今日はパスポート申請書を記入する(パスポートの申請は明日にまわす)。余った時間でジャグリングの練習をする。

恋人へのカミングアウトについて

恋人ができた。
それはとても嬉しいことなのに、発達障害をカミングアウトすべきかどうかがちらちらと頭をよぎる。

発達障害者は恋人にカミングアウトした方がいいのだろうか?
わたしは今はどちらともいえず、できればしばらく言いたくない。とりあえず、今しばらくは。

発達障害であること自体は犯罪でもなんでもないが、黙っていることに罪悪を感じてしまう。
しかし、関係が深まる前にわざわざ言うことではないと思う。
精神科、心療内科、障害などのワードはイメージがあまりよくないから。

それなりに深い間柄の人に言うのも緊張するのに、恋人とはいえ最近知り合った人にはなかなか伝える気になれない。どう思われるかがこわい。

結婚を前提に付き合ったわけではないのだから、彼から聞かれない限りはすぐに言う必要はないと思う。
そういったわけで、今のところは、二人の間で障害が元となった問題が起きない限り言わないでおく。

うしろめたさは常にある。でも悪いことをしてるわけではないし。……。
今は言いたくないと強く思いながら、僅かに相手の反応を見たい気持ちがある。

そこには恐れと甘えがあって、あまり向き合いたくない感情だ。

合コンと街コンに行った話

わたしは中高一貫の女子校に通い、大学へ入初めてまともに異性と交流がある生活をした。
合コンの類には全く縁がなく、興味もなかったが運良く、19歳で初めて恋人ができた。4年ほどつきあって別れた。根拠なく、もうおしまいだと思った。
わたしはまだ若いけれど、発達障害があって、見た目もよくなくて、性格は欠陥だらけで、話も上手くないし、良いところがない、などと自分をたくさん卑下した。
しかし、そうでもないよなー、と近頃は考えを変えられるようになった。

わたしは最近、初めて合コンに行った。
恋人がいるときは、合コンに全く興味がなかったし、バカにしていた。
恋愛に異常にがっついた人だけがいくイベントで、行ったところで良い人はいないんだと思っていた。
そんなわたしが、なぜそんなイベントに行ったのか。
23歳で恋人と別れた後、あまりの出会いのなさに少し焦ったからだ。
(バーで出会いがあるにはあったが、クソみたいな男だったので、出会いにカウントしない。もう一人飲みの女に話しかけてくる輩は二度と信用しない。)

このままでは、恋人がいないまま生涯を終えるのではないか。
周囲が配偶者や、子や、または違う関係の人とコミュニティを作り、おだやかに歳をとり死を迎える準備ができても、わたしは独りなのではないか?といつもの極端な思考に走った。

結婚できるできないはさておき、わたしは誰かとご飯を食べたり作ったり、いっしょにでかけたり、楽しいことを共有したい。
去年の初夏に恋人と婚約破断し、冬を迎え、さみしさが募り、なりふりかまわず友人に連絡をとった。「合コンがあったら呼んでください!」

そんなわけで今年の一月にわたしは初めて合コンへ行きました。収穫なし。社交辞令で連絡先を交換した(すぐに全部消した)。
二月にも合コンに参加した。収穫なし、飲食店でウンコ眺めて帰ったって感じだった。社交辞令で連絡先を以下略。

三月は初めて街コンに参加した。二人一組の応募だったので友人を誘った。
街コンは合コンより参加者が多いので、すこしでも打率が高まるのではないだろうかと踏んだからだ。
わたしが選んだのは、数十分に一度、席替えがあるスタイルで、自分で積極的に話しかけまくらなくてもすむタイプの街コンだ。

当日は三回のクジによる席替えと一度のフリータイムで、六名の男性とお話しした。
またまた社交辞令で全員と連絡先交換はしたけれど、印象に残ったのは始めの席でお話しした二人組だった。爽やかな男前二人組である。

フリータイムではものすごく勇気を出して、もう一度お話ししませんかとその二人に声をかけた。当たって砕けろ。やらぬ後悔よりやる後悔。男前はわたしの申し出を快諾してくれた。やったぜ。

偶然にも趣味が被っていたことから話が盛り上がり(わたしの友人が話し上手でよかった)、またみんなで飲みましょうという流れで、会場から駅まで一緒に帰ってさよならした。

その時点で、飲み会の件は社交辞令だろうな……でも男前とお話しできたからそれだけでストレス吹っ飛んだな、ありがとう、と神に感謝していたら、その男性から飲み会はいついつにしましょう、と連絡がきたのだ。その日のうちにスケジュールが決まった。なんということでしょう。

その二人は嫌味なく爽やかで、言動がスマートで、わたしと友人にとても気を使ってくれた。
そういった場に不慣れなわたしたちがテンション上がりすぎて自分の話をワーワー話してしまったときも、ニコニコと相槌を打ってくれて、なんてできた方々なんだろーと感動した。反省もした。自分の話ばかりするのはよくないです。次は聞き上手になろう。

ふだん、女への接し方がろくでもないゴミみたいな男性に多く当たるので、男性はどーせそんなんばっかりだ、という考えができていた。
けれども、世の中にはまともな男性がちゃんと現実に存在して、わたしの目の前にいて、まともにわたしに接してくれたことが嬉しかった。よかったよかった。

街コンで出会った男性陣とわたしたちが今後どうなるかは分からない。
ただ、わたしはその一人と頻繁にメールをしている。趣味や生活や仕事の話。恋愛感情というほどのものでもないけれど、好意はある。向こうも、わたしに全く興味がなかったら、ここまでやり取りはないはずだ。たぶん。

ということは、わたしはわたしが思っているほど、容姿が悪いわけでも、話がつまらないわけでもないのではないか?

性格と発達障害の点については、長く付き合うことによって色々あるかもしれないけれど、初対面の人とここまでコミュニケーションが続くということは、そう自分に悲観することでもないのではないか?  そうだと思う!

出会いを得るという街コンの目的そのものよりも、別の部分で満足できた。

 

2月22日で24歳になった

フグを食べ

酒を飲んでは酒を飲み

いと心地よし

二十四の夜

 

 

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ふぐ鍋食べてヒレ酒飲んで、テキーラをストレート2杯飲んだのでしあわせ。はじめてテキーラをまともに飲んだ。この世にはまだまだ知らぬ美味しいものがたくさんあることが分かったスバラシ夜だった。

転職を考える(2014年3月の下書き)

転職について考えたけど、積極的にやりたい仕事が思い浮かばなかった。どうせ何やってもだめだろ、という気持ちが芽生えてくるので思考が途中で止まる。

とはいえ何時間も考え込んだり転職サイトに登録したわけではないので、考えたというほどのことでもなかった。あ~ちょっとまえは大学生で、あんなに就活にシャカリキになってたのに~。あれはなんだったんだろう。恐怖心で動いていた気がする。正社員にならないと生活が安定しない→奨学金がうまく返せない→人生詰む。という考えしかなかった。昔からそうだけど、極端で短絡的すぎる。お金の問題は人の判断を鈍らせるね。でも当時は当時で必死だったわけで、夏に就職が決まったのはほめるよ。まあ就職後の話は別として。

お試し期間が終わって正社員になった月から病院通いが始まったし、就職前に想像していた安定した生活の基準が今となっては分からないし、奨学金は返せているけどさまざまな面で余裕がない。

大学卒業してからプラプラしててもよかったと思うけど、自分の性格でそれを選択することは絶対にありえないのでしかたない。今の仕事を続けることはできそうにないので、仕事なしに食べていく貯蓄もないので、転職をまじめに考えなければならないけれど、意欲がわきません。経済的に余裕がないと心は荒みやすくなるし肌は荒れるし、たまの休日もどこかへ出かけることは稀。何事に対しても意欲が低くなったので、これが貧すれば鈍するということかあ、こんな実感得たくなかった。手から石油が湧いてほしい。

話がどんどんそれてしまった。転職サイトに登録したほうがいいのに転職サイトを直視できない。

 

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去年の下書きが残っていたので上げてみる。

追い詰められてるね~~~!

今は、世間的に信用のない仕事をしている代わりに収入が倍程度になった。

前より全然いい。お金があることが一番大事だ。

時間がないのも問題だけど、お金がないと日常生活に必要なもの、生活を豊かにするものを買えない。そちらのほうがよほど問題だ。

お金がなくて病院に行くことすら躊躇していた時のことを思えば、今はずっといい。しかし、生活リズムが夜中心なので、それはそれでしんどい時もある。

さぼっていた

文章を書くのをさぼっていた。

最近、漫然と生きているのでよくない。

 

大学生の頃、就活中は強迫観念に駆られていた(思えばあれが鬱状態発動のトリガーであった)。

なぜか、正社員にならなくては意味がない、生きていけないと思い込んでいた。今思うとまったく意味が分からない。正社員でなくても生きていける。

 

その思い込みでとりあえずは正社員になれたけれども、我が社の待遇を人に話せば必ず「それ、アルバイト? 正社員? マジかよ」という反応が返ってくるので、正社員である意味はそんなになかったのではないかと思う。

 

あの時は物事を固くとらえすぎていてつらかった。

今はすごく適当に生きている。悪い意味で適当かもしれない。

「今」以外のことを考えるのはすごく難しい。

がんじがらめになっていた時にくらべると、今は適当極まれり、という感じ、相変わらずふり幅が極端だ。

 

ここ5日ほどは毎日10時間くらい寝ている。なんなのだろうか。